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空の器
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2008/04/21(Mon)
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けっこう前から自覚して思っていたことだけれど、
今年、こうしてブログ村で、いろんな人が語ることを読んでいて、 ますます思うことがあります。 なんで、こんなに自分は、自分の考えというものが固まらないのか? 同じクリスチャンとはいえ、これだけ、いろんなたくさんの人が思い思いに語っている中で。 しかも、対立するような熱い議論が繰り広げられているような場においてさえも、 各サイドの主張に、なるほどな〜とうなずいてしまっている自分がいる。 そうして、悟る。 ああ、私は、本当に空っぽの器なんだなぁ。 自分の中には、本当にたいしたものなんかなんにも入っちゃいない、 つくづく、ただの空の器でしかないんだと、思い知らされる。 ・・・だけど、それにしても。 いくらなんでも、これは固まらなさすぎなんじゃないのか? いくら空の器とはいえ、どんなに小さな器であろうとも、穴だらけの器であろうとも、 仮にも器の類であるというのなら、少しくらいは骨格みたいなものがあるだろうに・・・ この自分の固まらなさは、さすがに異常じゃないのか? なんだろう。器系、入れ物系で、固まらない変幻自在のものがあるのか? ・・・・・・(しばし、考える)。 あ、あった・・・! 布。 布ってどうだ。 布製の袋。 しかも、旅行カバンとか、ブランドバッグの類じゃないな。 あくまでも普段使いの、手提げ袋系。 そして、1枚布でもないな。この私のバラバラ具合、寄せ集め具合は、 はぎれ布を合わせた、そんな手提げ袋だ。 ふむ・・・イエス様の手提げ袋か・・・(手提げ袋を持ってくださっている御姿を想像する) (笑)。全然、悪くない。 むしろ、けっこう好きかも。 いいじゃん。この位置。イエス様の手提げ袋。むちゃくちゃいい役だ。 固まれないなら、どこまでも、いつまでも、固まらないでいこう。 ガチガチで固い手提げ袋なんて、それこそ使えたもんじゃない。 痛む胸がないわけじゃない。できないことに焦る思いがないわけじゃない。 でも、私には、私にしかなれない役がある。 それを、しっかりつかんでいると、 神様、今日、こうしてまた少し、思ってもいいですか。 私は、本当にただの空の器だ。 だけど、神様にしっかりと愛され用いられている、たった一つの器のなにかだ。 ね。イエス様。 |
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久しぶりのデート
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2008/05/01(Thu)
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先週、旦那さんと二人で、映画を観に行ってきました。
実は、私たちは、かなり外出ごとに興味の薄い夫婦です。 そのため、あまりの出不精ぶりに呆れてか(笑)、神様が時々きっかけを働きかけて くださって、私たちに豊かに楽しむことをプレゼントしてくださいます。 今回の映画も、大人の仕事の事情で(笑)人からプレゼントされたものでした。 さらに平日に行ったせいか、この日、この映画を観る客は私たち二人だけで、 店員さんの指定してくれた一番良い席に座り、スクリーンを二人だけの貸切状態で、 映画を楽しませていただくことができました。 内容も、ある意味私たちのためらしい、じんわりいい映画でした。 旦那さんと映画デートっぽいことをしたのは、今回が初めてでした。 というのも、出会いの時から結婚するまで、私たちは、札幌−福岡で遠距離恋愛を していましたので、今回のように、映画館などで、ただ二人で、こうして穏やかに 黙って座って、時間を過ごすなんてことは、当時には考える余裕がなかったからです。 映画を観ながら、私は、結婚前の自分たちのことを、少し思い出しました。 私たちの恋愛時期は、正直、精神的にはけっこうつらいものでした。 特に私は、結婚するには、仕事も辞めないといけないし、友達とも家族とも 離れなくてはいけない状態で。 しかも、その当時では、まだちょっと人には理解されにくい形のお付き合いを していましたから、本当にこのまま進んでいいものなのかと、自分の人生の中で これほど選択を迷い悩んだことはなかったほどです。 それでも、どうしても、二人は絶対にこの世での結婚相手同士なんだという 確信に近いものがたしかにあって。 そして、神様のような絶対の力のある方が介在してくださったからこそ、 二人は出会えたのだということが、ノンクリスチャンだったこの私にでさえも、 たぶんもう、わかってしまっていたのだと思います。 聖書の中で、イエス様にパンくずを求める女性の話があります。 (新約聖書 マタイの福音書 15章27節・マルコの福音書 7章28節) のちにクリスチャンとなって、聖書のこの箇所を学んだ時、 ああ、私は、この箇所を体験させていただいたんだなと、身に沁みて感じました。 イエス様は、たとえその時キリスト者でなくとも、神を信じきって、 主に近づいてこようとする者を、絶対にないがしろにはされません。 聖書のこの箇所に書かれてあるとおり、主はあの頃の私を、ただ憐れんで かえりみてくださり、今に導いてくださったのだと、私は強く信じています。 今の私は、あの頃のような不安な思いで、迷いの中を進むようなことはもうありません。 なぜなら、今はこうして、「イエス様!」と、信じる御方に固くすがることができるからです。 このことだけで、もうすでに私は、最上の喜びと安心に包まれることができるのです。 神様、私たち夫婦に、こんな素敵なプレゼントと、改めてこのことに感謝できる時を、 ありがとうございました。 |
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狂気の沙汰(今夏のある日に綴ったメモ)
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2008/09/27(Sat)
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今のこの感情を
なにかの言葉に出そうと考えるその間に その言葉は、もう今、この気持ちの中にはない ものすごい勢いで なにかが流れて変わっていく 何も言えない 言葉にならない 言葉が追いつかない 現実を見た すべてが壊れた そして、私のすべてが組み直されていく きっと全部、私は入れ替わる 破壊 破壊 総入れ替え 全組み直し 再生 再構築 検証 修正 再修正 廃棄 回収 解放 吸収 入力 出力 忘却 記憶 沈黙 爆音 制御 沈殿 静寂 遅延 郷愁 寂寥 諦め 失墜 永遠の別離 引力 分裂崩壊 再統合 今までのどの私にも、もう戻らない 今までの想像もつかない そんな自分に変化していくのを ただ私は途方もなく感じている 言葉が追いつけない だから、私は沈黙する もう、誰にも伝えられない 自分にさえ、伝え残しておけない 私は一人で、一人きりで、 本当に一人で ここを通っていかなくてはいけない じっくり保留にして考えていたこと。 これからの身の振り方など、ようやくそろそろ、また一つ決断できそうな気がしてきました。 気分は悪くない。澄み切った秋空のように、清々しい気持ち。 |


