moonprayer
 
自分の色を取り戻す
ようやく、ようやく、今度こそ。自分の本来の、居心地のいい色を、しっかり取り戻せてきたかな・・・と思える今日この頃。
やっぱ、ここ(FC2)のブログ環境が私には合ってるなぁ。
この自由な空間で、また自由に自分を表現して語っていこう。

ただいま、私。おかえり、私。
これからも末永くよろしく、私。

誇れるものはほとんどないけど
クリスチャンとして、自分は何が誇れるかと聞かれても、私はほとんどそんなものはもっていない。
神学校には通ってないし、奉仕らしい奉仕もしてないし、伝道活動だってやったことない。イベントにも参加したことない。
熱く伝えられるものも、聖書の解き明かしもできない。
結婚は一応してるけど、ただの主婦だし、子育てだってしてないし。なにか病気と闘ってるわけでもないし・・・
言葉だって、全然知らない。デボーション? シェア? ユース? 初めて聞いた・・・
別になにか大きなことができるだなんて考えてはいなかったけれど、
私の存在は忙しい皆にとって、邪魔になってこそすれ、役立つなんてことはないなと悟った。
私ほど、何にもしていないクリスチャンはいないだろうって、それが誇れることかも。
私はきっとこのブログ村の中で、一番忙しくない語れないクリスチャンだと思う。
でも、焦ったりはしない。劣等感にさいなまれて誰かと競って焦るレベルじゃないんだもん。
完全にお手上げ。人間が違いすぎるんだな。

だから、私は、ただゆっくり皆を見ていこう。読むことは好きだから。
それから、黙って祈っていこう。それだったらできるから。
できないことを嘆いてもしょうがない。できることがあるかぎり、それに集中していけばいい。

私の誇れることは、忙しくないこと。祈れること。

信仰告白
「信仰告白」

私は北海道札幌市で生まれ育ちました。
今までキリスト教については、小学校の校門の前でイエス様についてのパンフレットを配っていたのを見たことがある程度で、ほとんどキリスト教とは関わりのない生活を送っていました。
そして、私は今までずっと神様の存在を否定し、人生とは自分の力でがんばっていくものなのだと信じ、生きてきました。

でも、こうしてクリスチャンである夫を与えられ、福岡に移り住み、こちらの教会へ導かれることとなりました。

私は今まで神様の存在を信じずに、自分の信念で生きてきましたけれども、結婚してからは、今までの私の力では結婚生活を上手にやっていけないほどの壁にぶつかりました。
その時に初めて、私自身の力の限界を知りました。

また、神様を信じることができるかどうか悩んでいる時に、ふとなにげなくめくっていた夫の聖書の中から、神様は私に旧約聖書のヨブ記を読むように導かれました。
ヨブ記を読みながら、まるでヨブが私自身と重なり、これまでの私はヨブのように神様に対する知識を間違えていましたが、ヨブ記を読むことで、神様の正しい知識を知ることができ、自分の罪を知ることができました。そして、教会でも素晴らしい牧師先生のお話を聞き、そこでもまた私の神様の認識が間違っていたと知りました。

なにがあっても、神様は一番最初におられた方なのだということがとてもよくわかり、信じられるようになりました。

そのような出来事を通して、これからは神様の教えに従って頼っていかなくては、妻としての役目を果たしていくことができないと感じました。
そう思った時に、初めて心に平安がもたらされたのです。

私は、まだまだ未熟ですので、信仰も祈りも弱く、神様のお考えとは的外れなこともしてしまうと思いますが、そのたびに神様の前に立ちかえり、悔い改めながらよい人間となれるように努力していく決心です。
そして、遠く離れて住んでいる家族や友人にも、祝福がもたらされるように祈れる人間になっていきたいと思っています。

私はイエス様を救い主と信じ、主として心の中に受け入れ、生涯、キリストに従って生きていこうと決心することができました。今までの罪を悔い改めますので、どうか私を新しくしてくださり、信仰生活に入ることができますよう、お導きください。

2000年8月6日



私がバプテスマ(洗礼)を受けた時に書いた信仰告白の文章を、ここに書き記します。
やっぱり、この時の思いが、私がクリスチャンになるうえでの思いの全てだなと思う。
初心に帰る。初心を失わない。私は、すぐズレてしまう弱いものだから。何度でも立ち返って、自分を見つめ直そう。

トイレで祈るクリスチャン
---
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
(新約聖書 マタイの福音書 6章6節)
---

はっきり言って、これはカッコよくもなく、自慢も推奨もできないことではありますが、私なりに考え行き着いた、私が実際に毎日やっていることを、今日は正直に明かしてみます。

誇れるものはほとんどないけど」で、祈ることはできると書いた私ですが、じゃあ具体的にどこでどんなふうにして祈っているかというと、私の一番の祈りの場所はトイレです。

自営業の我が家は、家に旦那さんがだいたい一日中います。だから、リビングに一緒にいれば、コーヒーをお願いされることもあるし、テレビをつけていることもある。だから、自由に、誰にも見られず、一人で、静まって、最後まで集中してじっくり祈れる場所といえば、トイレがうってつけなのです。体勢的にもね、座って、手を組み合わせて、頭を垂れる・・・もうこれで、楽に祈りのスタイルがとれるのです。
体から悪いものを排泄し、清い霊を祈りによって新しく取り込む。むちゃくちゃ理にもかなっている・・・と、私は思っています・・・

一番簡単な主の祈りで1分くらい。なにか深く祈ると、3分〜5分くらいはすぐに時間が経ちます。その間、トイレにまで来て呼ばれることはないし、不審に思われることもない。
それで、そんな短い祈りを、トイレに行くたびに癖のようにしているだけで、一日に5回〜10回くらいはトイレに行くと思うから、1回の祈りが平均3分として、10回行くだけで合計30分もの祈りができることになる。
平均30分の集中した祈りが、毎日、これでわりと簡単にできてしまうというわけ。
教会が遠くて毎日気軽に通えなくても、なかなか一人にはなりにくい環境でも、ドタバタしてちょっと聖書を開く時間がもてなかった日でも、喜怒哀楽どんな気持ちの状態の時でも、トイレには必ず行くから、こうやって毎日細かく頻繁に神様と対話することだけは、絶対にできるというわけです。

あまりにもトイレに長居しすぎると、リビングに戻ってきた時、たまに言われます。
「あれ。今までトイレにいたの?」って。
でもそこで、祈ってたんだもんとは言わない。「なかなか出なくってねー」
別に彼は私が便秘症だからって気にする男性ではないので、「ふ〜ん。あ、コーヒーお願いできる?」 「は〜い」と、私は快く返事ができて(これも祈って平安になれているおかげ)、穏やかな時間をそのまま続けていけるのです。

神様だけが知っている、私の祈りのスタイル。
どんなに美しくなくダサくても、祈りの心は真剣なつもり。
実際に、この祈りの時に、神様から言葉をもらうこともたくさんあります。
私のトイレタイムは、とてもほっと落ち着く、私だけの大切な祈りの時間なのです。

優等生から劣等生へ
クリスチャンになる前の私は、いわゆる「優等生」でした。
成績もいい方で、高校の時は生徒会長なんかもやって、短大は推薦で入ったり。
就職先も、第1希望一社目で一発採用でした。

まじめで、いい子で、おとなしくて、しっかりもので、お姉ちゃんで、強くて・・・

う〜ん・・・ちょっと違うんだけどな・・・と、心なしか苦しくは思っていたのだけれど、
そのイメージを自分で壊せずに、ずっとその役を、皆に嫌われたくなくて演じてきてました。


そんな私が、1つ年上の旦那さんと結婚して、初めての土地に来て、クリスチャンになって・・・
なんにもわからない、ドジもいっぱいして、とことん劣等生な自分に焦り、落ち込みました。
クリスチャンとしての劣等感だけではなくて、北海道人・福岡人としてもそうだった。
旦那さんのご両親は大阪出身なので、彼も義両親も、福岡弁というよりは大阪弁口調です。だから、福岡・博多のことについても、本当の地元人とはちょっと違います。
それから、出身地の北海道のことについても、私はほとんど興味がなかった(正直、故郷を愛していなかった)ので、こっちの人に北海道の話を聞かれても、なんにもまともに答えられなくて。

いい大人になるまでずっと、こんな優等生ぶった自分でいたから、
それから自分を打ち砕いていくのは、かなり痛い作業なんですよね。
さらには、自分のことが嫌いだという傷 (「一年で一番嫌いな日」(旧ブログ)) も抱えていて。

クリスチャンとしても、一般人としても、
北海道人としても、福岡人としても、大阪人としても、
自分には、これだとしっかり根付いているものがなんにもなくって、
どれもこれも中途半端で、そんな自分がますます好きになれなくって、
本当に本当につらくてみじめだった。


こうしてできあがった今の私。
中途半端に北海道弁と大阪弁と福岡弁を話す、まだかなり小心者の、
神様のことを勉強途中・成長途中の、ただの小学生主婦クリスチャン。

でも、今までよりは、かなり自分のことが好きになれている。
まずまずのもんかなと、まあまあ自分を気に入っている。そう思えるようになっている。

まあ・・・悪くない・・・かな。って、
まあ・・・あんま気張らんと、気長につきあってこうや。って、

自分に対して、そう思えるようになれたことが、本当に嬉しい。

---
恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

(旧約聖書 イザヤ書 43章1節・4節)
---

優等生から劣等生へ。
そして今、やっと、一人のただの"わたし"として、
神様の前にこれたかな・・・と感じています。

ホーム

プロフィール

moonprayer / Mie

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード