クリスチャンになる前の私は、いわゆる「優等生」でした。
成績もいい方で、高校の時は生徒会長なんかもやって、短大は推薦で入ったり。
就職先も、第1希望一社目で一発採用でした。
まじめで、いい子で、おとなしくて、しっかりもので、お姉ちゃんで、強くて・・・
う〜ん・・・ちょっと違うんだけどな・・・と、心なしか苦しくは思っていたのだけれど、
そのイメージを自分で壊せずに、ずっとその役を、皆に嫌われたくなくて演じてきてました。
そんな私が、1つ年上の旦那さんと結婚して、初めての土地に来て、クリスチャンになって・・・
なんにもわからない、ドジもいっぱいして、とことん劣等生な自分に焦り、落ち込みました。
クリスチャンとしての劣等感だけではなくて、北海道人・福岡人としてもそうだった。
旦那さんのご両親は大阪出身なので、彼も義両親も、福岡弁というよりは大阪弁口調です。だから、福岡・博多のことについても、本当の地元人とはちょっと違います。
それから、出身地の北海道のことについても、私はほとんど興味がなかった(正直、故郷を愛していなかった)ので、こっちの人に北海道の話を聞かれても、なんにもまともに答えられなくて。
いい大人になるまでずっと、こんな優等生ぶった自分でいたから、
それから自分を打ち砕いていくのは、かなり痛い作業なんですよね。
さらには、自分のことが嫌いだという傷 (「
一年で一番嫌いな日」(旧ブログ)) も抱えていて。
クリスチャンとしても、一般人としても、
北海道人としても、福岡人としても、大阪人としても、
自分には、これだとしっかり根付いているものがなんにもなくって、
どれもこれも中途半端で、そんな自分がますます好きになれなくって、
本当に本当につらくてみじめだった。
こうしてできあがった今の私。
中途半端に北海道弁と大阪弁と福岡弁を話す、まだかなり小心者の、
神様のことを勉強途中・成長途中の、ただの小学生主婦クリスチャン。
でも、今までよりは、かなり自分のことが好きになれている。
まずまずのもんかなと、まあまあ自分を気に入っている。そう思えるようになっている。
まあ・・・悪くない・・・かな。って、
まあ・・・あんま気張らんと、気長につきあってこうや。って、
自分に対して、そう思えるようになれたことが、本当に嬉しい。
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恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(旧約聖書 イザヤ書 43章1節・4節)
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優等生から劣等生へ。
そして今、やっと、一人のただの"わたし"として、
神様の前にこれたかな・・・と感じています。