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Mon.

今回の図書館デー (これも一種のグリーフワークかな)

最近いつもこの話題だ、と、少々恐縮している(苦笑) サブ(元本読み人格さん)の彼と、図書館デーの話題(笑)
仕方ないんだ。だってこの彼は、私の中で一番のインプット担当なので、ひっくりかえすと、一番のアウトプッターにもなる。ようするに、一番のおしゃべりさんでもあるということなのだ(笑) 男のおしゃべりさん。

おしゃべり、は、私の中で、けっこう注意事項でもある。嫌な人、嫌いな人の思い出したくない嫌なことを、同時にたくさん思い出して、嫌な気持ちになって、自分も同じくその思考にひっぱられるから。愚痴、不満、人の批判、何様のつもり、自己中心的、自分のことしか見えてないのね・・・と、まるで鏡に映すように、自分の見たくない部分を見せられるから。私の中で、女(人格)のおしゃべりさんが育たなかったのは、そのせいだ。自分で自分を否定した。ああはなりたくないと、反面教師が目の前にいたから(母親)。ああ、ほんとに私は、生理的に感性的に、あの母親が人として嫌いなんだなぁと思う。もうすでにあの人の人間そのものが嫌いなのだ。母親全面否定。落ち込むよ。もしあの人が、自分の同級生だったりしたら、正直私は、あの人と友達になろうとしたかどうかも疑問である。あの人のことを、どうやったら好きになれるのか、全然わからないくらい。プライドばかりが変に高くて。お嬢様なんだな。しかも、中途半端なお嬢様だから、本人自身の正しい自尊心が備わって育っていないのだ。自分を真に愛せてないから、やっぱり他人にもそうできない。可哀相に・・・としか思わない。こっちが親心ですよ。バカみたい。本当に自分に腹が立つ。
これが自分の母親だというから、仕方なく無理して合わせてつきあってやっていた、仕方なくかまってやっていた、仕方なく味方になって聞いてやっていた・・・という感覚が、今は充満しきっている・・・。本当につらかった。嫌だった。こんな大人になるまで、我慢をして。我慢の限界を超えたんだ。リミッターを振り切った。内臓全破裂でもう二度と修復不可能かもというくらい。もう吐き気と気味悪さしか感じない。お化けだ。人間じゃない。人の姿に見えない。それくらい、人としての思い出が、あの人に関しては何も無いのだ。重苦しく与えられるだけの大量の飲食物。押し付けられる脂のような強制給食。配食。残せない。食べなきゃいけない。機嫌を得るために。喜ばせてやるために、食べてやらなくちゃいけない。気持ち悪い。吐き気がする。けっこう重症だ。もう二度と近づきたくない食べれない。そんな気さえする。思い出すだけで、吐き気がする。溜め息・・・。


少し前から気づいていたことだが、このサブ彼は、早くから私の中にいてくれたこともあり、私の中のけっこう重症なことを、けっこうひっぱって持っていてくれたみたいなんだ。それが溢れてくるということは、けっこうつらい。でも、ありがとうと思う。
そして彼本人もまた、内部で入れ子のようになっていて、彼自身も自覚してなかったことがけっこう思い出されてくる。ごめんねとありがとうの連続繰り返し。水道の蛇口をひねるように、あとからあとから溢れてくる。綺麗な水分が出てくるまで、あとどれくらいかかるだろう。この濁った水のような感情の塊り。消化し切れなかった嘔吐物にも似たような、汚い感情の塊り。


今回の図書館デー(サブ彼の日)は、こんなことを思いながら、歩いていた。

だが、これだけで終わったわけではないので、続きを書くが、今度はいいこと。

最初、出かける時に、彼に「どうする?」と聞いた。歩けないから、来ないかい? と。正直、まだ私の足は遠距離を歩くのは痛い。彼は、歩けないほどに痛い。
だけど、彼は外に出たがった。せっかくの貴重な「自分の日」だから。大事にしたいって。だけど・・・歩けないからどうしよう・・・って。

すると、(このサブ彼のパートナー人格である)彼女が出てきた。そうしてひらめいたアイデア。車椅子。彼を車椅子に乗せて、彼女が押して歩くと言うのだ。彼は彼女のその提案にとっても嬉しそうに喜んで、彼女に甘えてそうしてもらうことにした。

実は彼は、けっこう甘えん坊さんなのだ。彼女に対して。私がまだ現実の外に対して上手に表現できない、まだ上手く身につけられていないものを、彼らは分離し、預かってくれている。私は、彼らから学ぶ。甘え方を(笑)

私は学ぶ。車椅子に乗る方と、押す方の立場を。車椅子に乗った彼は、新しい視点を学ぶ。それは、「いつもより位置が低い」ということ。
私たちの中で、1番目2番目くらいに背が高い彼は、イスに座った低い位置で景色を眺めて動き歩くというのは、新鮮だ。そしてそれは、これが「子供の位置」と置き換えられる。子供の目線で歩く。こんな感じだったかなぁって思いながら。

乳母車(ベビーカー)の視点? 赤ちゃんは、こんな視線で、ものを見てるのかなって、学ぶ。それはとても貴重な経験で。それを、後ろにいる大切な大事な自分の彼女と二人で一緒に分かち合う。笑顔が生まれる。嬉しくて。楽しくて。気持ちよくて。幸せで。これが愛かなって思う。それなら僕は、きみを愛してるって思う。ありがとうって感謝が湧く。

私はね、誰かと一緒に分かち合える、そんな思い出が欲しかったの。楽しくて、幸せな、覚えていられる本物の思い出。ありがとうって言いたかった。

それが現実には(過去に)上手く叶わなかったから、私は、私たちは、自分たちで作り上げる。せいいっぱい。明日も笑顔を保って生きていくために。


いつか将来、私が車椅子に乗った時。もしくは、誰かの車椅子を押すようになった時。私はこれを思い出そう。感謝だねって。ありがとうねって。恥ずかしくないよねって。幸せだねって。だって、自分の力で歩けなくても、こうして外を動けるんだって。痛くなく、歩けるんだって。それは、幸いだ。幸せなことだなって。

彼は(私も)、そう胸いっぱいに思っていた。彼ら二人の笑顔を見て、私自身も、笑顔になる。

・・・まぁ、私の足は、自分で歩いてるから、私は自分で今痛いんだけどね(苦笑) まぁ・・・いっか(笑) 彼らが幸せならば(笑) はいはい。二人でどうぞお幸せに。と、私は少々ひやかし? もしながら、図書館用事を済ませました(笑)

帰って来て、夕食を作る。彼と彼女の希望で、今夜はカレーだ。挽き肉で作る、キーマカレー。実家では食べたことの無い料理。実家みたいに、いろいろ入れたりしない。極力シンプルに。それで充分おいしいから。もうほとんど、実家の味は、体に合わないので作らなくなった。材料(食材)も無いしね。北海道と福岡じゃ、やっぱりかなり違うから。味付けも好みも、だいぶん変化した。私らしくなった。それを喜んで食べてくれる人がいる。強制しない。「多かったら、残していいよ(笑)」と、あっさりとあっけらかんと笑って伝える。残しても、不機嫌になったりしない。たった食事一つでも、なんだかなぁと思う時がある。私が知って覚えていたものって、いったいなんだったんだろうって。全然、違うじゃんって。

おいしく食べてもらいたいからがんばって考えて作るのと、がんばって一生懸命作ったんだからと押し付ける圧力を感じさせる雰囲気と・・・それは紙一重で、本末転倒で、的外れ・・・微妙な違いは、天と地との差がある。いつのまにか、ズレていく・・・

寂しさと、手放す気持ちと、新しく始める気持ち、上書き修正する気持ち。嬉しくなくはない気持ち。大事に、していきたい気持ち。ゆっくりゆっくりよく噛んで、しっかり味わってあげたい・・・気持ち。

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2011-02-07 20:34 | 嘆きの仕事(グリーフ・ワーク) | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑
Fri.

一言(いちごん)

人で、ありたい。
2011-02-04 11:38 | 一言 | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑
Thu.

節分。節(ふし)の日。海を見に。

2月になりましたかね・・・
私の全体的な体調は、けして良好とは言えませんかね。全体的に、意識が飛び気味のような気がします。まぁ、いつものこととも言えるのだけれど・・・(苦笑) 何かをしようとすると(特に何もしてなくてもだけど(笑))、頭の中にいろんなものが浮かんで、うっかりぼーっとして、集中できないので、「集中集中」と自分の中に励ます声をかけてやったりしながら、一つ一つ、丁寧にやろうとしています。
常に一つ一つ、きちんとやれたら、自分がなにをやっていたかあとでほとんど忘れても、結果的に私の全体は大丈夫。あとの時間の自分に伝言を残すとかね。そんなバトンリレーのようなやりとりは、もう私の、慣れたあたりまえなのだ。・・・・・・人に何か口ばっかりうわべばっかりの心配をしてもらったって、仕方がない。やらなきゃいけないのは、私だからだ。他の誰かじゃない。私の中に、誰か人に助けを求めて、何かを人に頼るという選択肢は、すでにもともと無い。自分でやる。それが、私の身に幼い時から潜在的に強制認識させられ、周囲からも重苦しく暗黙のうちに強く叩き教え込まれ、自らも体にきつく刻み込み、深く染み込み付けてしまった私自身の習慣の基本なのだ。今さら、そう簡単には、すぐに変えていくことはできない・・・一生をかけて、自分の意識で、無意識の自分をコントロールしてやるしかないのだ。


さて、そんな精神的にギリギリでキツイ状態でも、昨日、夕食の買い物のために一歩外に出たら、空気が少し暖かく柔らかく感じて嬉しかったので、思い立っていつもの裏の公園に散歩一周してきました。
今回は、公園のさらに裏の方、展望台広場まで行って見ました。

110203.jpg

ここの展望台からは、海が見えるのです。本当にここは、私の大好きな公園。

私がいつも、何かのたびに思い出す、大好きな聖書の箇所の一つ。
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わたしは近くにいれば、神なのか。遠くにいれば、神ではないのか。
人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。
天にも地にも、わたしは満ちているではないか。
(旧約聖書 エレミヤ書 23章23節-24節 新改訳聖書)

主は仰せられる。手近な偶像は信じられても、目に見えない神を信じることはできないのか。
主は仰せられる。わたしは目には見えないが、天にも地にもどこにもいる。
(旧約聖書 エレミヤの預言 23章23節-24節 現代訳聖書)
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「わたしは近くにいれば、神なのか。遠くにいれば、神ではないのか。天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」の部分が、大好き。私は、いつも絶対に生きてる限り一人ぼっちじゃないんだと思い出させてくれる。

深呼吸をしよう。優しさを思い出そう。優しいことは、間違いじゃないと、思い出そう。深呼吸。深謝。
私に必要なものは、たぶんきっと、感謝と、優しさだ・・・と思う。

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2011-02-03 12:26 | ブログ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
Mon.

初めから人は成人(20歳)だったわけじゃない。

今、サブリーダー("もと"、本読み専用人格、今は精神年齢20代前半の男の子、イメージカラーは緑色)の彼と一緒に、とある簡易長期育成体験プログラム(私が今勝手に命名(笑))を体験している。私がこれを続けるようになって、もう今年で7年目になる。生まれた子が小学生になる年齢だ。

まずは18日から一週間、このサブ(人格)の彼と、この育成体験をしてみるつもりだった。実際に"自分で"、何かを地道にコツコツと一段一段育ててみるという作業経験は、この彼にとって、意外にも思った以上に希少で貴重なものだったらしい。湧き出てくる思い。彼の(私自身のでもある)本音。

今さらながら当然ではあるが・・・出来上がって安心に完成した物語や人様の史実を読んだだけで、自分の身についていた気になっていた読書とは、まるで違ったようだ(苦笑) 実際に自分の手や体や心を動かしてみて、自分で現実に何かを育ててみる(特に自分自身や他人の心の内面のようなものに触れていきながら育ててみる)というのは、生の自分の体験というのは、やはりものすごいものだと思う。

まだ揺れ動いてる彼だけど、きっと彼はこのまま、ぶつかりながらも進んでいけると思う。


話を少し巻き戻すが、3つ前の記事で、私は今いるリーダー人格のことを20代前半の男の子と書いた。(2011/01/17 「痛みを引き取ってくれる人」
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その人格さんは、私の頭の中で、もうずっと長くリーダー役を務めてくれている20代前半の男の子の人格さんだ。青色水色 のイメージカラーを持つ、彼。
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でも、もともと彼は、このリーダー人格の彼も、今回のサブリーダー人格の彼も、最初からこの年齢で、完成されて出来上がっていたわけじゃない。

思い出す限り、彼らは、私が小学校4年生くらいの時期から私と共に、まずは同じ学年の友達として、私の頭の中に存在してくれていた。だから、小学校・中学校・高校時代の彼らの姿も知ってるし、大学生の時の姿の彼らも知っている。そのあと、私が会社員時代の間は、20歳くらいでずっと彼らの姿は長く止まって過ごしていて、結婚後何年か経って、私がDIDという言葉に出会って自分がそれだったと気づかされた時から、自分に向き合う作業をする中で、彼らもまた成長し、ようやく今の20代前半(精神年齢23歳程度)の男の子たちにまで成長したのだ。

実はまだ、上位人格もいる。25~27歳程度の兄弟子人格。30代前半の壮年・実指導者的人格。そして長老的人格まで。

私はずっとこれらの彼らに、長く心育ててもらっていた。現実に私を長い目で見て目をかけてつきあって育ててくれる人が誰もいなかったから。

私は私の中に、ずっと自分の必要を作って、何とか無理矢理しのいで生きて来たのだ。



・・・土曜日の夜中は、本当に久しぶりに、また死にたくなった。サブの彼に完全に意識を乗っ取られて。天井から首を吊って・・・そんなことを時々刻々と考えていた。ほとんど病気の塊のようになってしまって、こんな出来損ないみたいになってしまった俺なんか・・・って。

ああ、本気で、(この彼は)死にたいんだなと、私は思った。

だけど、"彼女"が止めてくれた。彼の彼女(一応この彼女のイメージカラーは、橙色黄色ピンク などが主体。いつもほがらかで天真爛漫的な、明るい花束や太陽みたいな役割をしてくれている大切な女の子人格の一人)。彼女もまた、彼らリーダー人格たちと共に、私が小学生時代から一緒に心分かち育ち合ってきた仲間(人格)だ。幼なじみとして、中学生・高校生も、短大生も、OL時代も、私と共に経験してきてくれた彼女。将来は結婚する。子供も作る。おばあちゃんになるまで一緒に過ごす。そう約束してきたこのサブの彼の彼女だ。オママゴトみたいな、かわいらしい小さな夢がいっぱい詰まってあった。

それさえも全部放り出して・・・死のうと思った。


だけどね・・・止められちゃったの。たった一言。この彼女に「死なないで」って言われた。
まだ一度も見たことも聞いたこともなかった、ものすごい真剣な深い眼差しと、今にも泣きこぼれそうな重い声と、震えそうなくらい神妙な口調で・・・びっくりした・・・

変だよね。たったそれだけなのに。命がけの言葉。彼女がこんな言葉を言うなんて、思わなかった。完全に知らなかった。「死なないで……」って、彼女から、この言葉を言われるなんてこと。いつも笑顔の人。ものすごく沁みたんだ。心に沁みた。簡単なんだ。単純なんだ。思いなんて。

たったその一言だけで止められる。時がある。(今回の、僕のような単純簡単な場合はね・・・(苦笑))


おかしいよね(苦笑)


そして今日、僕はまだ、生きている。・・・・・・生かされちゃったんだ・・・(苦笑)

おかしい(笑) 笑える。そして、育てる作業(与えられた課題)をしてる。黙々と。一人で。

横にはミエの旦那さんもいて。実は俺も、これは認識している。感謝してる。早くから自分がただの一つの人格なんだって目覚めていたのも、あって。

内側にいて、この現実の体を外に出て生きるミエたちの人格を支える、そんな役をずっと担ってきた。

(精神年齢的に)20歳になって、大人になって・・・まだまだこの先、生きていくんだと思う。

長い道のり・・・果てしない道のり・・・この先の現実のミエがどんなおばさんになって・・・どんなおばあちゃんにミエがなっていくのかはわからないけれど・・・その時に俺たちも、どんな姿になっていくのかはわからないけれど・・・

それでも、共に在りたいと思った。


うちの家の親たちはね・・・私ミエを最初から自分で勝手にできあがった大人だと思ってたみたいなんだよね(笑)

生まれてから最初の2年程度のかわいいかわいいおもちゃみたいな赤ちゃん時代の私があって、それからすぐに大人の人間に放っておいても勝手に自然に出来上がるってね。飛び級みたいに。一足飛びに。すぐにあっというまに完成してできあがるみたいな。飼っているか遊んでいたおもちゃの人形かロボットかペットのような存在が、ある日突然人間になって、そのあとも自分たちをずっと楽しませてくれる、みたいな。ある日突然人間の大人になって、お料理も上手に出来て、お掃除も上手に出来て、お勉強も、読書も、運動も、仕事も、恋愛も結婚も、人を産み育てることも。人生そのものも。一人前に。夢みたいに。

そんなわけないっちゅーの(爆)

でも、そんなことを気づいて考えることができないくらい、彼ら"自分たちこそが"、心がお子さまであったんだ。自分たちも、そのさらに周りの大人の祖父母たち、曾祖父母たちもね。全員が。

それに気づいてないのが、本物の重症のアダルトチルドレン。世代間連鎖。今はそう、人には診断されるのだろう。いい時代にはなったね。気づいてもらえる気づかせられる感謝な時代にはなったのだから。


いつか気づいてくれるといいね。それは、全てを最初から最後までご覧になって見ていた(今もなお見ている)神様のみぞ知る領域。

私たちはただ・・・日々淡々と心静かに感謝して進ませていただくだけだ。神様を実の真の親として、生きて進ませていただける道を。


親への恩も義理も果たした。私、たいそういい子だったもん。ものすごいバカみたいに、いい子過ぎたなって。どこかやるんじゃなかったなって後悔するくらい。もらった分以上の恩は絞り出してまで返した。かな。たぶんね。なんとなく。

もうこれ以上はもらってもいないから、ありがとうって感謝を返すことさえも出来ない(もう、無言で餌付けのようなことだけがされるような出来事は、こちらからも黙って辞退させていただこう・・・)。それが、たぶんおそらく最初は心有る人の子であり、子の親であったはずの彼らが、自分たちで考え、自らで選び取って行った道。私を見放し、心見捨てて行った結果が出した、彼らが導き辿りついた答えの道。

さようなら。どうぞどこまでもお元気で。もう、そういうふうにしか思わないし、思えない。悪いけど申し訳ないけど、でも私は、もらった材料でしか、ものを完成させることが出来ない。私は創造神様ではないからね。ただの普通の、年相応の、生きてる人間の、なんの力も無い女の子。

私に、子供時代の心を育ててくれた親はいなかった・・・神様以外。もうどこにも。二度と。永遠に。出会いは、無い。残念だけどね。事実は、事実。仕方がないじゃない。無いものは無いんだもの。


バイバイ。感謝。(一応ね・・・礼儀は返す。人としてね)

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私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。
(旧約聖書 詩篇 27篇10節)

主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
(新約聖書 ヘブル人への手紙 13章5節)
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さて・・・終わっていない課題の残り、もう少し考えながら、まだがんばってやり続けなくちゃな(けっこうそんなに甘くなくキツイけれど、それでもけっこう楽しんで挑戦してもいる)。こちらには感謝も、まだまだし尽くし足りないしね・・・(汗;;)

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2011-01-24 15:09 | 私の中の人たち | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑
Sat.

育てて欲しかった

あたし、育てられたかった。大人になるまで、ちゃんと、誰かに、育ててもらいたかった。

いったいあたしは、大人になるまで、誰に育ててもらってたの?

あたしの霊と魂と心の人格たちは、いったい誰に?

それが、あたしには、わからない。誰も、いないから。(本読み人格と、あたしが混ざるとそんなことを考える)

誰も、信じられない。信用できない・・・あたしには、誰も。そんな思いだけが、繰り返し繰り返し、湧き出てくる。

滾々と、こんこんと。


あなたにとって、「信じる」って、なに? "私"は、あなたに(自分に)、問いかける。

どうやったら、私は(あなたは)、なにを、信じられるの? 自分自身に、私は問いかける。

わたしは・・・わたしを・・・・・・うーん・・・・・・手放すな。考えろ。自分で。自分で時間、かけていいから。

大切なきみに、感謝を。(注:途中経過なので、大丈夫(笑) 感謝)

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2011-01-22 14:51 | ブログ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
Wed.

思考は伝線する

"伝染"じゃなく、"伝線"ね(笑)

ちょっと予測していたことだが、「(本好きの人格さん)は痛みに弱いから、あいつには任せられない(笑)。」と書いたことで、(本好きの人格さん)が、やっぱりちょっと落ち込んだ。気分がどんと下がり、無性に泣きたくなる(笑) 思いが溢れる。

でも、リーダー(人格)の彼は、動じない。だって、もともと、(本好きの人格さん)は、私たちのサブリーダーなんだもの。リーダーの彼が、誰よりも一番、サブの彼を信頼・信用しているんだ。唯一無二の親友だと言ってもいいくらいに。彼ら二人の歴史は、私たちの中で一番古い。

二人でいろいろ話し合って。
結局リーダーは、サブの彼に、一つの課題を与えた。女の子である私ミエには「絶対に無理はかけない。」って言ったくせに、この男の子である彼にはちょっと無理な難題を与えるような課題だ。痛みに弱いなら、痛みに強くなれ。足の痛みも、分け与えた。痛い足で、本を読んでみろ。どんだけ集中できないか。思い知って味わってみろ。体験してみろ。もっと大切に、味わって感謝してみろ。

リーダーの彼は、厳しい。

でも、サブリーダーの彼は、これを受けた。やる、と言って。

まずは一週間、それと、これ。やれ、と言って。サブの彼は受けた。


今日でとりあえず二日。昨夜なんかはぼろぼろだった。泣きたくなるし、痛いし、疲れるし、思いは溢れるし、思いに翻弄されて。

それで、知る。まだ自分は、知らなかったんだってこと。

感謝する。自分がまだ知らなかったことに対して、課題を与えてくれた(リーダーの)彼に。

一週間経って、このサブの彼がどんなことを思っているか、それは私ミエにもわからない。


ただ一つ言えることは、"私が"彼らを信頼しているってこと。こうやって、いつどんな時も、私たちはみんなで乗り越えてきた。話しながらケンカしながらお互いに距離を置きながらまた再開しながら。

そして、悪くなってきたことは、一度もないってこと。良くしかなっていない。

それを、信じる。信じるに値する。信じる価値がある。それだけで私には充分。

私は楽しみに待つだけだ。自分の中から湧き出てくる思いを。きっといいこと、思ってくれると思う(嬉)


思いを進める……

今、サブの彼が思っている言葉。その思いだけを胸に、今彼は黙々とレベルを積み重ねている。

サブリーダーの彼を、生かして頂いて ありがとうございます。

私は神に、感謝の思いを捧げる。
2011-01-19 22:45 | 私の中の人たち | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
Mon.

痛みを引き取ってくれる人

ここ数日、リビングが室温18℃、寝室は3℃、トイレで吐く息が時折り白いです。寒いはずだけど、私はほとんど気温を感じる機能が壊れているので(笑)、正直上手くよくわかりません(苦笑)


先日の、私の中で具合を悪くしていた女の子の人格さんは、前回までのおんぶから、昨日くらいは抱っこを私に許してくれるくらいまでにはなった。私の場合、「抱っこ」は、深い信頼の証しなのだ。ありがとうと思う。

今回のこの「信頼」というキーワードで、私の思考は二方向に分かれる。一方は、とことんどん底まで下がっていく思考なので、流れに任せて途中まで書いてはみたけれど、とりとめもなく収拾もつかなくなってヤバい感じになってきたので止めた(苦笑) こちらはまだ、私の中で昇華・消化しきれない思考らしい。こちらは次の機会と時期を待つことにして、今はもう少し黙って我慢して寝かせておこう。


もう一方の話を書いておく。
自分より年下の弱ってる女の子の人格さんを「抱っこ」しながら、近所のスーパーで夕飯の買い物を済ませ、帰り道を歩いていると、ふと、私の頭の中である一人の別の人格さんが、私と同じようにびっこをひきながら歩いていることに気づいた。なんで?! どうした?! と思った。

その人格さんは、私の頭の中で、もうずっと長くリーダー役を務めてくれている20代前半の男の子の人格さんだ。青色水色 のイメージカラーを持つ、彼。
そう気づいた瞬間に、彼の声が聞こえる。
「ミエ一人に、背負わせられないでしょ」と言って。ニヤリと、びっこをひく足で笑ってみせた。

(本好きの人格さん)は痛みに弱いから、あいつには任せられない(笑)。(医師役の人格さん)はもっと体全体の操縦が大変だし、あいつは左足側だからな。

(父役をしている人格さん)は(子供たち人格)のこと、しっかりつかまえててやってほしいし。そしたら、あと残るは俺が、やるしかないっしょ。

もう半分以上治ってきてる。もう少しだ。がんばれミエ。そう言いながら、彼は、歩く私の足の痛みを引き取ってくれた。

すると、すーっと、少しだけ足が軽くなる。痛みが、一枚分薄れて取れていく感じ。


何日か前から、私は、少しずつ痛めた右側の足指のリハビリを始めていた。自分の左足指と比較しながら。
しばらくの間、シップを貼って極力動かさないでいたせいか、なんだか少しそのままで固まってきてしまったような気がしたからだ。
以前にできてた、足の指でグーチョキパーがスムーズにできるくらいまでには、少なくとも治さなくてはいけない。

絶対に無理はかけない。でも、過剰に甘やかしたりもしない。シップして寝たり、貼らないで寝たり、様子を見ながら徐々に以前の元の生活に戻していく。
そうじゃないと、大丈夫だった左足側にまで、無理と負担がかかって、壊してしまいそうになるからだ。それでは悪循環だ。

体に負担のかからない正しい歩き方を意識して、一歩一歩一生懸命確かめながら歩く。たかが一歩歩くことに、夢中になって集中して歩いてる。

そうしている間に、彼がつないで共有して分けて引き取って手伝ってくれた。

暖かくなるまでには治すよ。そう言って。

私も、暖かくなるまでに治していこう。3ヵ月(「3ヵ月」これも私の大切なキーワードの一つ)くらいかけるつもりで。

痛いの痛いの飛んでけ。(感謝)
2011-01-17 08:36 | 私の中の人たち | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
Sun.

痛みと共に、ゆっくり歩こう・・・

今日の日曜日は、教会から帰ってきたあと、図書館の日だった。家に居てインターネットから一回だけ貸出延長サービスが利用できるので、私は4週間ごとに図書館に通っていることになる。
今回の4週間の間に起こって流れていった出来事を、道すがら歩きながら、思い起こす。同じDIDを抱える一人の若い友が自らの手で亡くなり、私は自分の足を怪我させて、その後でクリスマスがやってきて、新しい年へと移り変わって、もう10日も過ぎようとしている。

長かったのか、あっという間だったのか、自分でもまるでよくわからない。まだ半分、夢の中にいるようだ。


・・・いつもなら、必ずと言っていいほどこうして図書館へ行く時は、本好きな彼(人格さん)が一緒に出てくるはずの道なのに、今日は、私の足がまだ少し痛むので、彼は上手く出てこれなかった。
やっぱり、あくまでも、この足の怪我をしたのは「この私」なのだ。「彼」じゃない。だから、私が足の痛みを感じている間は、彼は上手く出て来れないみたいなのだ。これは、新たな発見だった。


この足の怪我は、先日の友を待っている5日間の間に、あまりにも精神的に不安定になって、爆発してしまって、キッチンの横の板を、自分で思いっきり蹴り付けてしまったのだ。板には穴が開いた。

いくらなんでも私が蹴り付けたくらいではどうともないと思っていたキッチンの横のぶ厚い板が割れて穴が開いた。もちろん素足でだ。靴下1枚は履いていたけれど、スリッパも何も履いていない、素の足でだ。どんだけの勢いと力で、私はこの板を蹴り付けたのか。これを直さんといけん修理費の痛み。足の痛み。やらかした後悔。人生で3本指に入るほどの大失敗とも言えるくらいだ。

目に見えない心の内側の痛みが、これほどまでの目に見える痛みだったんだと、私はこの時、初めて改めて自分でわかった。自分で自覚できていなかったのだ。私がこれだけ、実は精神的ダメージを受けていたんだと。こう、見えるものになって、初めて自覚した。

私の中で、まだショックから具合を悪くしている人格さんも自覚認識している。
亡くなった彼女と同年代だった、17歳の女の子の人格だ・・・わずかな胃もたれ、かすかな車酔い感が抜けない。
私は、そんな彼女を、大切に背負って歩く。背中と前が、温かい。背負われた胸側と、背負っている背中側と。別々だけど、同じ。そうやって私たちは感覚を共有する。彼女の痛みは、私の痛み。私の痛みは、彼女の痛み。意識をつなぎ合わせ続ける。
背中暖かく背負い歩きながら、背負われ胸側温められながら、共に味わい続ける。共に高く遠い空を仰いで。共に目の前を流れ行く景色を眺めて。まだ、たったの一ヵ月も経っていないのに、ついこの前までには、たしかに画面の向こう側に存在して居てくれた友であった大切な尊い一人の友に、私の中から神様から預かった大切な優しい何かが、きっと今からでも遅くなく間に合って、あなたの手元に心の内に届いてくれますように。


足もだいぶん良くなったが、それでもまだ、爪先立ちができるほどには回復していない。
歩く速度も遅い。普通の人が3歩進む間に、私は1歩という感じだ。

でも、こうしてゆっくり歩くことも・・・感謝だ。この痛みは、悪くない。
大事な痛みだなって。じっくり治しながら、労わって保養していこう。充電・蓄電しよう。

あー、言葉がダダ漏れだ。しょうがない。これも私。今の私。今の私の正直な精神状態とでも言っておこう。私も普通の人間だね。うん。これでいいや。ごめんとありがとうを一緒に最後につけておこう。読んでくれた人に、ありがと。やっぱりね、ありがとう。

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2011-01-09 21:45 | ブログ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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