moonprayer
 
新緑の季節
写真の日付は2002年4月。
生まれて初めて、新緑の美しさに目が留まった年でした。

クリスチャンになって、自分の何かが変わったなと思う瞬間は、
こんなふうに、今まで気にもならなかったことに、
目や気持ちが向くようになった自分に、気づく瞬間です。

桜の季節も綺麗だけれど、私は、この新緑の方に、強く心励まされるようになりました。

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天地万物をお創りになった神様は、ご自身が創られた全てのものを使って、
私を励まし、導いてくださる。

私の内に宿ってくださっているイエス様が、神様から来るそれらに気づくように、
私の目と心を動かしてくださる。

私は、今年の新緑も、なんとか綺麗だと思える自分でいられて、ほっと安心する。
これが綺麗だと思えなくなっていたら、ちょっと危険だなと思っているから。
私の心の状態を測るバロメーターみたいなもの。

また来年も、ちゃんと綺麗に、見えますように。

久しぶりのデート
先週、旦那さんと二人で、映画を観に行ってきました。

実は、私たちは、かなり外出ごとに興味の薄い夫婦です。
そのため、あまりの出不精ぶりに呆れてか(笑)、神様が時々きっかけを働きかけて
くださって、私たちに豊かに楽しむことをプレゼントしてくださいます。
今回の映画も、大人の仕事の事情で(笑)人からプレゼントされたものでした。

さらに平日に行ったせいか、この日、この映画を観る客は私たち二人だけで、
店員さんの指定してくれた一番良い席に座り、スクリーンを二人だけの貸切状態で、
映画を楽しませていただくことができました。
内容も、ある意味私たちのためらしい、じんわりいい映画でした。

旦那さんと映画デートっぽいことをしたのは、今回が初めてでした。
というのも、出会いの時から結婚するまで、私たちは、札幌−福岡で遠距離恋愛を
していましたので、今回のように、映画館などで、ただ二人で、こうして穏やかに
黙って座って、時間を過ごすなんてことは、当時には考える余裕がなかったからです。


映画を観ながら、私は、結婚前の自分たちのことを、少し思い出しました。
私たちの恋愛時期は、正直、精神的にはけっこうつらいものでした。
特に私は、結婚するには、仕事も辞めないといけないし、友達とも家族とも
離れなくてはいけない状態で。
しかも、その当時では、まだちょっと人には理解されにくい形のお付き合いを
していましたから、本当にこのまま進んでいいものなのかと、自分の人生の中で
これほど選択を迷い悩んだことはなかったほどです。

それでも、どうしても、二人は絶対にこの世での結婚相手同士なんだという
確信に近いものがたしかにあって。
そして、神様のような絶対の力のある方が介在してくださったからこそ、
二人は出会えたのだということが、ノンクリスチャンだったこの私にでさえも、
たぶんもう、わかってしまっていたのだと思います。


聖書の中で、イエス様にパンくずを求める女性の話があります。
(新約聖書 マタイの福音書 15章27節・マルコの福音書 7章28節)
のちにクリスチャンとなって、聖書のこの箇所を学んだ時、
ああ、私は、この箇所を体験させていただいたんだなと、身に沁みて感じました。
イエス様は、たとえその時キリスト者でなくとも、神を信じきって、
主に近づいてこようとする者を、絶対にないがしろにはされません。
聖書のこの箇所に書かれてあるとおり、主はあの頃の私を、ただ憐れんで
かえりみてくださり、今に導いてくださったのだと、私は強く信じています。


今の私は、あの頃のような不安な思いで、迷いの中を進むようなことはもうありません。
なぜなら、今はこうして、「イエス様!」と、信じる御方に固くすがることができるからです。
このことだけで、もうすでに私は、最上の喜びと安心に包まれることができるのです。

神様、私たち夫婦に、こんな素敵なプレゼントと、改めてこのことに感謝できる時を、
ありがとうございました。

クリスチャンブロガーへの6つの質問
HOLD ME JESUS」のTaikaさんが、前に、「クリスチャンブロガーへの6つの質問」
という記事を書いておられました。
私もいつか、自分のブログでこの題材をお借りしたいと宣言をしていて、
そろそろある程度、自ブログの雰囲気が固まってきたように思うので、
遅まきながら、ここで一度、自分の考えを明確にしておきたいと思います。


「クリスチャンブロガーへの6つの質問」

質問1 「あなたがクリスチャンブログを始めようと思ったきっかけは何ですか?」
一番のきっかけは、やはりブログ村という、クリスチャンブロガーのコミュニティの存在を
知ったからですね。(2007年12月初旬でした)
私は、どちらかというと、自分が書くよりも人の書いたものを読む方が好きなので、
本当は人様のブログに通うだけでもいいのですが、それだと、こちらは相手のことを
知っていけるけれども、相手は私に対してそれができにくく、コメント部分だけでは
交流が一方通行に偏りがちになってしまいます。
それでは、ちょっと申し訳ない気がしたので、このブログは自己紹介というか、
身分証明書といった位置づけで始めました。

質問2 「あなたのブログの特徴・アピールしたい部分を教えて下さい」
ブログだけでなく、私の信仰生活全体において、私の一番の目的と願いは、
"キリスト教に無関心"だったり、"キリスト教が大嫌い"という人に、
"キリスト教に悪い気はしていない"レベルにまで、なってもらいたいということです。
これは、「ツトムジャーナル」を運営されている、ツトムさんのメルマガを
読ませていただいて、明確になったことです。(改めて感謝!)

これによって、私は、この御言葉を大事にしています。
---
律法を持たない人々に対しては、─ 私は神の律法の外にある者ではなく、
キリストの律法を守る者ですが ─ 律法を持たない者のようになりました。
それは律法を持たない人々を獲得するためです。
(新約聖書 コリント人への手紙第一 9章21節)
---
今年考えていること」で書いたことも、この思いから生まれた自分への課題です。

普通の暮らしの中に自然に溶け込みながら、普段の言葉遣いや行動の中に、
こっそりしっかり神様の力を沁み込ませて、周囲に伝えていければと思っています。

質問3 「更新していくうえで、心がけていることがあったら、教えて下さい」
私の場合は、気負わずゆっくり書くこと・・・かな。

質問4 「ブログを通して神様がしてくださったことって、ありますか?」
毎日がどっぷり神様漬けになれたこと。
毎日、いろんな人からたくさん神様の話を聞けるようになって、
ますますいっぱい神様のことを考えるようになりました。
信仰の友達もたくさん増えて、本当に感謝な毎日です♪

質問5 「これから、ブログやネットを通して活動していくうえで、神様に願い求めたいことはありますか?」
今はまず、神様と自分の1対1の関係をしっかり築き、一クリスチャンとして
きちんと自立することを考えています。
というのは、私は、結婚後にクリスチャンになったので、高校生の時からクリスチャンの夫とは、
10年近くの信仰の年齢差があります。
そのため、今までは私ばかりが守ってもらい、支えてもらうばかりでした。
人生のパートナーとして、これからはもっと自発的に夫を支えられる妻になっていくことが
できるよう、こういうブログの場を活用して、一クリスチャンとして成長し、
先を歩く夫の信仰に追いついていきたいと願っています。

質問6 「これからブログを始めてみようかな…と思っているクリスチャンの皆さんに一言」
無理にいつも神様のことを語ろうとしなくてもいいですしね。
普段の生活のことや、自分の趣味のことなんかも混ぜながら、気楽な気持ちで、
ぜひ始めてみていただけたらと思います。



以上です。
改めて、Taikaさん、ありがとうございました!

空の器
けっこう前から自覚して思っていたことだけれど、
今年、こうしてブログ村で、いろんな人が語ることを読んでいて、
ますます思うことがあります。

なんで、こんなに自分は、自分の考えというものが固まらないのか?

同じクリスチャンとはいえ、これだけ、いろんなたくさんの人が思い思いに語っている中で。
しかも、対立するような熱い議論が繰り広げられているような場においてさえも、
各サイドの主張に、なるほどな〜とうなずいてしまっている自分がいる。

そうして、悟る。

ああ、私は、本当に空っぽの器なんだなぁ。

自分の中には、本当にたいしたものなんかなんにも入っちゃいない、
つくづく、ただの空の器でしかないんだと、思い知らされる。


・・・だけど、それにしても。

いくらなんでも、これは固まらなさすぎなんじゃないのか?
いくら空の器とはいえ、どんなに小さな器であろうとも、穴だらけの器であろうとも、
仮にも器の類であるというのなら、少しくらいは骨格みたいなものがあるだろうに・・・

この自分の固まらなさは、さすがに異常じゃないのか?

なんだろう。器系、入れ物系で、固まらない変幻自在のものがあるのか?

・・・・・・(しばし、考える)。

あ、あった・・・!

布。
布ってどうだ。

布製の袋。
しかも、旅行カバンとか、ブランドバッグの類じゃないな。
あくまでも普段使いの、手提げ袋系。
そして、1枚布でもないな。この私のバラバラ具合、寄せ集め具合は、
はぎれ布を合わせた、そんな手提げ袋だ。

ふむ・・・イエス様の手提げ袋か・・・(手提げ袋を持ってくださっている御姿を想像する)


(笑)。全然、悪くない。

むしろ、けっこう好きかも。

いいじゃん。この位置。イエス様の手提げ袋。むちゃくちゃいい役だ。


固まれないなら、どこまでも、いつまでも、固まらないでいこう。
ガチガチで固い手提げ袋なんて、それこそ使えたもんじゃない。


痛む胸がないわけじゃない。できないことに焦る思いがないわけじゃない。
でも、私には、私にしかなれない役がある。
それを、しっかりつかんでいると、
神様、今日、こうしてまた少し、思ってもいいですか。

私は、本当にただの空の器だ。
だけど、神様にしっかりと愛され用いられている、たった一つの器のなにかだ。

ね。イエス様。

実は、クリスチャンが怖い
私が重く背負っているもの、2番目は、これです。
この場でこれを語ることに、強い恐れがあります。
ですが、私が自分を語る時に、これはどうしてもはずせないことなので、
神様の前だと思って、正直に打ち明けてみたいと思います。


私は、高校2年生の時、たぶんいじめと分類される出来事を体験しました。
私にそうしたのは、つい前日まで、親友だと言い合うほどの仲だった女友達で、
ある日突然、彼女は、私を無視しはじめたのです。
明らかに、私がそこに存在していないというような態度の、「無視」といういじめでした。

直接理由を聞くことがどうしても叶わなかったので、
なんとか別の友人に、その理由を聞いてもらったところ、
「あいつは、偽善者で八方美人だから嫌い」ということでした。


前記事で書いたとおり、私は「誰にでも優しくあろうとする人間」になっていたせいで、
彼女にとって、私は、誰にでも愛想をふりまく、卑しい女だというふうに映ったようです。
これも、まぁよくありがちな展開ですね(苦笑)

でも、私はけして裏心があって、愛想をふりまくとか、そうしていたわけではありませんでした。
みんなそれぞれに、なんだかんだと悩みを抱えていて、一生懸命生きているんだなということがわかってしまうから、それを冷たく突き放すことは、自分自身にそうしてしまうことになりそうで、できなかったのです。

そういう私の態度が、彼女は不快だったのですね。
どうしようもなかったところもあったけど、もっと私も、やりようがあったかもなぁと、今では思います。


それ以来、私を不快に思い、嫌いだと言ってくる人の理由は、

「Mie は、偽善者くさくて、誰にでもいい顔をするから嫌い」

ほぼいつもこれですね。

「義人はいない」と、そもそも完全な善者はイエス様以外ひとりもいないのだからと、
神様は私を慰めてくださいますが・・・

そして、クリスチャンは、この"偽善者"という言葉がとてつもなく嫌いですよね。
だから、偽善者とすぐ言われやすい私は、クリスチャンが、けっこう怖いのです。

新約聖書 マタイの福音書 6章に、偽善者についての注意が書かれてあります。
トイレで祈るということも、これを固く守るための気持ちの表れでした。
奉仕活動などにかすかな恐れを感じることも、この気持ちからきています。


「自分自身にするように、隣人に対して心を尽くせ」という教えと、
「偽善者のようであってはならない」という教え。

一歩でも横に足を踏み外せない状態の細道に、私はいつも立たされていると感じてきました。
このバランスを保つためには、私はそのつどただ主に祈り、判断を仰ぐために、
一生すがりついていくしかないと・・・覚悟というに近い感情で、いつも思っています。
それでもなお、失敗しやすい私です。


以上、この2つ、

家族からは、冷たいと言われること と、
友達からは、偽善者と言われること が、

私が一番重いと思って背負っている荷物です。

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